『安部公房とわたし/山口果林』を読んだ【読書】



安部公房とわたし山口果林

自分が生きてきた時間を

まるでなかったように扱われる、

見て見ぬふりされる。

愛人とはそういうものだろうか。

著名人の愛人が

恋人だった男と一緒に過ごした時間のことを

話したり書いたりするのは、

暴露してやろうとか

そういうわけではなく、

確かに過ごした時間を

なかったものにされてしまうことへの

反抗というか、

自己証明のためというか

そういう衝動がもとになってるのかなあと思った。

プロフェッショナルな日陰の女は

黙して語らずなんだろうけど

愛人として過ごした何十年かが

ないこととして扱われると

自分の人生の何十年かも

なかったことになって

ぽっかりと穴があいてしまう。

存在を無視される。

それって一番つらいことだからなあ。

安部公房と山口果林。

ノーベル賞受賞も近いと言われる大作家と

若い新進の女優。

映画やドラマや小説で

よくありすぎるカップル。

山口果林が安部公房と付き合っていたっていうのは

この本が出るまで知らなかったんすけど、

有名な話しだったんすかねえ。

自分にとっての山口果林は

子供の頃によく見た火曜サスペンス劇場とかの

2時間ドラマに出てくる

あやしい色気のある女の役をする人っていう

イメージしかない。

安部公房とこういう関係だったとは。

本の内容は安部公房と過ごした時間のことを

書いてあるのは当然なのですけど、

なかったことにされた時間を

取り戻すという意味合いのほうが強いので

山口果林の自伝の中に

安部公房も登場するという雰囲気なのです。

なので安部公房のことを知りたくて

という人にはあまり向かない内容かもしれません。

安部公房は重要な登場人物ではあるが

主役ではないっていう感じかなあ。

でも、数々のエピソードは興味深い。

妻と別居して山口果林と生活し始めたが

ノーベル賞をとるまでは

離婚や再婚はまってくれと編集者から言われていたとか。

ノーベル賞をとるまではって

ノーベル賞がとれそうだという確証があって

そんなことを言っていたのか、

それともほんとは結婚する気もなくて

その方便としてノーベル賞を使っていただけなのか。

興味深い。

安部公房もただの俗っぽい男だった。

ちょっと常人離れした、

風変わりな作家として安部公房を神格化したい人には

あまりうれしくない話だろうか。

言ってみれば教え子に手を付けて

妻と別れるわけでもなし

夫婦は維持しながら

愛人との刺激を楽しむという

俗すぎるほど俗なただのクズ男の姿が見える。

山口果林が妊娠して

密かに堕胎していたという記述には引いたなあ。

危険日だとか安全日だとか言って

ちゃんとした避妊をしてなかったらしいのだが

自分の快楽のことだけを考えている

これまた俗っぽいただの男の姿をそこに見る。

作品が知的でハイセンスであっても

作者がそうであるということにはならない。

こういう作家の人間的な面を知ると、

作家はどうしようもない人間が

消去法で最後に選ぶ職業と言われるのも納得ですね。

先生だなんだと持ち上げられて

知的な人間がやるのが作家と勘違いするけども、

そんな上品な人は小説なんか書かないんだろね。

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