怒らないこと / アルボムッレ・スマナサーラ【本】を読みました





笑って生きよう
怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書) / アルボムッレ・スマナサーラ



これはなかなかよかったですね。

怒ることが当たり前で、

怒らないでニコニコしていると、

あいつはガッツがないとか

根性がないとか言われてしまうような世の中で、

怒らないという生き方が、

幸福に生きるための智慧となるというお話。

なぜ怒りという感情をもってしまうのかというところから

なるほどなあとおもしろかったですね。

人間、誰もが自分はいっぱしの特別な存在だと思ってるわけです。

いや、ぼくなんてぜんぜんだめですよ、

わたしなんて底辺だわ、

なんて言っていても、心の奥底では、

自分はなかなかのものだとひそかに思ってたりするわけです。

その正しい完璧であるわたしが、

こんな扱いを受けるなんて間違ってる。

わたしが正しくて相手が間違ってる。

わたしが正しいのだから怒るのも当然だという

意識から沸いてくる怒りというのがあるんですねえ。

これはけっこうある。

お互いが正義はわれにありと思ってる。

逆に、自分はだめだと思いすぎで、

よくできる人をねたむことから生まれる怒りというのもある。

まあ、そこで怒りをどう耐えるのかではなく、

最初から怒らないようにしようと、

そういうわけです。

怒りにとらわれた暗い人になるよりも、

喜びにあふれた幸福な時を過ごせる人になったほうが、

幸せではないかというわけです。

そうはいっても、

怒るときは怒らないとだめだから、

これは空論、どっかの坊主のたわごと、

きれいごとだと切って捨てる人もいるだろうけど、

空虚な理想論というわけでもないっすね。

心の持ちようっていうかねえ、

感情の赴くままに振舞うのではなく、

人間は理性をもってるのだから、

どんなときでも自分を見失わずにいようということかな。

だから、怒らないということを

ものごとを適当にすると勘違いしてはいけない。

怒りに身を任せて行動するのではなく、

常に自分を忘れるなということですかねえ。

怒ることを我慢するとか怒りを静めるとか

そういうことではなくて、

怒るということとはまったく違う方向、

ベクトルでものごとをとらえようということ。

これは簡単なことではない。

普通の人は、たまたま怒る要素がないから

今は怒っていないだけで、

なにか問題が起これば、

普段にこにこしていても

簡単に怒ってしまうというたとえ話があったけど、

そのとおりなのです。

怒らないということは、

常に自分を冷静に見つめるということ。

これは簡単なようで難しいっすね。

人のことはあれこれ気になるのだけど、

自分のこととなったら理性的ではいられないのが人間。

鍛錬が必要です。


怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

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